~代表・三輪康信からのメッセージ~
読書のすすめ
社内木鶏会感想文 & チアレッジタイムズ委員会より
読書のすすめ
稲盛和夫氏は生前のご講演でよくジェームズ・アレンさんの言葉を引用されていました。
人間の心は庭のようなもの(中略)もしあなたが自分の庭に美しい草花の種を蒔かなかったなら、そこにはやがて雑草のみが生い茂ることになります。すぐれた園芸家は庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育みつづけます。同様に私たちも、もしすばらしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植えつけ、それを育みつづけなくてはなりません。
致知出版社の藤尾秀昭社長は「心に不平不満が起こった時、気まま、わがまま、ムラッ気が生じた時、心に雑草が生えかけている兆候かもしれない。(中略)心の雑草を除くには、いい人、いい教え、いい言葉に触れることが必須である」という言葉を寄せられていました。
「自分より相手の立場に立ってものを考えるべきだ」ということは誰でも知っています。でもできません。それは人間の心がそういうようにできているからだと思うんです。「人間としてこうすべき」という原理原則は中心に持ちつつも、とかく人間の心というのは遠心力が働いて、外に外にと引っ張られるようにできているのではないか、意識して負荷をかけていかないと、どんどん離れていってしまう。心も庭と同じ。種を蒔くのを、手入れを怠るとあっという間に雑草が生えて荒れてしまうものなのだと感じています。
世の中は「読む」ことからどんどん遠ざかっている
藤尾社長は「本は心の食物」とおっしゃっていました。いい本を読むと、いい教え、いい言葉に触れられる、心が熱くなるし、エネルギーが上がり、そこから様々なことに心を馳せたり、何かを思いついたりと、心が躍ります。知識の増加だけでなく、視野の拡大、問題解決能力の向上なども読書の効用です。
私は本を読む時間がとれないでいると何だか気持ちが落ちていくような気がしています。心そのものが不調になっていくのかもしれません。
以前は、電車の中では本や新聞を読むというのが普通でしたが、今はスマホでゲームか、映像を見たり、ネットショッピングをしたりしている人がほとんど。本を読むことからどんどん遠ざかっていっているような気がしてなりません。より刺激的な読書以外の選択肢がたくさんあるから、そこに向かわないのもやむを得ないのかもしれないですが。
読書会で「心を整える」
私は「読書をして感想文を書く」というようにインプットとアウトプットの両方を重視したいので、社内木鶏会という読書会を月に 1 回開催しています。
それとは別に、経営者向けの読書会も開催しています。それぞれの視座の違いもあり、私にはどちらも必須です。読書会を開催していると「絶対に読まないと」というサイクルに自分を落とし込めますし、他の人の発表を聞くことによって、自分が足りていないもの、ことに気づけます。先日も社内木鶏会で社員の発表を聞いて「うわぁ、すごいなあ!」と素直に感動しました。
ある時、ふと気がつきました。「読書や読書会の開催によって、心が整えられているのではないか」と。心を整えられる環境、仕組みをもっている人はいいですが、何もしないままでいると、えてして人の心は荒れていくもの。しかも荒れていくことになかなか気がつけないし、気づいてもそのままになりがちです。いい言葉に触れる読書習慣、読書会によって、より気づけるようになり、心が整っていく、人としての質も上がっていけると思っています。
仕事は厳しいもの。だからこそ…
お客様は「自分が支払ったお金以上の価値があるかどうか」でドラスティックに判断し、イエスかノーかを突きつけます。スキルが足りていない、人間力が足りていないなど、色々な要素がありますが、相手から期待された価値を超えていかなければ厳しいフィードバックが来ます。仕方ありません。それが仕事です。
松下幸之助さんは「全ての因は我にあり」とおっしゃっていました。「原因は自分にある」と自分自身に矢印を向けた人だけが自己成長することができ、自己成長が増えていくと喜びが増えていくのではないでしょうか。人間はできなかったことができるようになっていくことが喜びだし、期待された価値を超えることができると、当然、フィードバックの質も変わり、プラスのフィードバックが増え、人間の心はよりいい状態になっていきます。
そのためにも自分自身で力をつけていくしかありませんが、どうやって力をつけたらいいのかわかりません。とりあえず読書から始めてみるというのも大事なのではないでしょうか。私も独立当初、必要に迫られてというのもありますが、とにかく本を読みあさりました。
読書は心を整え、新たな視点や気づきを成長を与えてくれる
当社の木鶏会は、プラスのフィードバックがたくさんきますので、「よし!また頑張ろう!」とふるい立てたり、また、他の人の発表を聞くうちに自分に足りなかったもの、自分とは違う価値観に気づけるようになります。
読書を通じて気づきを得、気づいて直すことが心の雑草を抜く作業になり、心を整えられる、その土台があるからこそ、より成長もしていけます。より選別が激しくなっている今、気づきを得ること、学び続ける習慣は欠かせません。スキルも大事ですが、それだけでは片手落ちになります。読書は心を整え、新たな視点や気づきを与えてくれるもの。そういう環境を整えることで、ビジネス上でも信頼・信用を得られ、関係性の継続につながりますし、社員たちと共に成長しながら、心豊かな人生を送っていきたいと思っています。
【社内木鶏会 感想文】
*人間学を学べる月刊誌「致知」をテキストに「社内木鶏会」を毎月、開催しています。全員が指定された記事の感想文を発表し、その中で選ばれた感想文です。
<指定記事~ 「なにくそ、負けてたまるか」その精神が僕の魂に火をつけた> |
<感想文>
このインタビュー記事で、豊島さんの負けん気、仕事にかける情熱、生き様を感じた。そして「一生懸命のその先に一歩進めるか、進めないか」という言葉に、自分の心が最も大きく動いたのを感じた。最近の私は、もっと上へという気持ちと、それに追いつかない焦りや不安と闘いながら、日々過ごしている。
この記事のタイトルにある「なにくそ」という精神は、年々薄まっている気がする。学生の頃は、あの子に負けたくないとか、部活の顧問に怒られても、見返してやるという気合いがあったように思う。今では、自分にできること・できないこと、得意・不得意、好き・嫌いをなんとなく選別して、自分の人生、だいたいこんな感じかなと、分かったような気になっているのではないかと思った。「頑張りすぎない」「自分を大切にする」と、言い訳ばかり達者になっている自分に、不安すら覚えた。
豊島さんは、インタビューの中で「誰も見ていないところで努力する」「絶対に手を抜かない」と仰っていた。自分に厳しいという見方もできるが、少し視点を変えれば、自分の人生を大切にしている、豊かにしているという風にも捉えられるのではないだろうか。
自分に与えられた時間・環境を大切に思えなければ、努力もできないし、手は抜いてしまうだろう。自分を大切にする、というのは、なにも自分を甘やかすことだけではないんだ。
思えば、自分の人生を振り返ったとき、楽しかった記憶と同じくらい、苦しかった記憶も、それを乗り越えた事実がまた、今の自分に自信をくれて、後押ししてくれる。苦しいなら苦しいなりに、辛いなら辛いなりに、自分の人生に降ってきたことなら、自分なりの解釈で、何かしらの意義を持たせたいと思う。たとえば、私はこんなことが辛かったから、周りに同じ思いをさせないようにしようとか、誰かが悲しんでいる時は、こんな風に声をかけてあげようとか。
また、今、私が挑んでいること、嫌だと思っても逃げなかったこと、それらがどんな些細なことであったとしても、未来への投資になって、私の大切な人生の一部になると信じたい。私にとっての「一生懸命のその先」には、お客様の幸せがあって、チアレッジの幸せがあって、自分の幸せがあってほしいと思う。
〔労務担当:白雅織〕
【毎月開催のランチ会】
社内木鶏会のある日は、毎月社内全員でランチ会を実施しています。 普段は、労務グループや DX グループ、管理部などそれぞれ異なる業務をしており、なかなか他のチームの社員と時間を取って話すことが難しいですが、ランチ会ではチームにかかわらず様々な会話を楽しんでいます。 他の社員の休日の過ごし方や、平日のごはん事情など、私も試してみようと思うようなことが多く、有意義な会になっています。 |